緊急用駐車スペースに着くと、青豆は立ち止まってあたりを見まわし、非常階段を探した。それはすぐに見つかった。運転手が言ったように、階段の入り口には腰より少し上くらいの高さの鉄柵があり、扉には鍵がかかっていた。タイトなミニスカートをはいてその鉄柵を乗り越えるのはいささか面倒だが、人目さえ気にしなければとくに難しいことでもない。彼女は迷わずハイヒールを脱ぎ、ショルダーバッグの中に突っ込んだ。素足で歩けばストッキングはたぶんだめになるだろう。でもそんなものはどこかの店で買えばいい。

 人々は彼女がハイヒールを脱ぎ、それからコートを脱ぐ様子を無言のまま見守っていた。すぐ前に止まっている黒いトヨタ?セリカの開いた窓から、マイケル?ジャクソンの甲高い声が背景音楽として流れてきた。『ビリー?ジーン』。ストリップ?ショーのステージにでも立っているみたい、と彼女は思った。いいわよ。見たいだけ見ればいい。渋滞に巻き込まれてきっと退屈しているんでしょう。でもね、みなさん、これ以上は脱がないわよ。今日のところはハイヒールとコートだけ。お気の毒さま。

 青豆はショルダーバッグが落ちないようにたすきがけにした。さっきまで乗っていた真新しい黒のトヨタ?クラウン?ロイヤルサルーンが、ずっと向こうに見えた。午後の太陽の光を受けて、フロントグラスがミラーグラスのようにまぶしく光っていた。運転手の顔までは見えない。しかし彼はこちらを見ているはずだ。

 <b>見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。</b>

 青豆は大きく息を吸い込み、大きく息をはいた。そして『ビリー?ジーン』のメロディーを耳で追いながら鉄柵を乗り越えた。ミニスカートが腰のあたりまでまくれあがった。かまうものか、と彼女は思った。見たければ勝手に見ればいい。スカートの中の何を見たところで、私という人間が見通せるわけではないのだ。そしてほっそりとした美しい両脚は、青豆が自分の身体の中でいちばん誇らしく思っている部分だった。

 鉄柵の向こう側に降りると、青豆はスカートの裾をなおし、手のほこりを払い、再びコートを着て、ショルダーバッグを肩にかけた。サングラスのブリッジを奥に押した。非常階段は目の前にある。灰色に塗装された鉄の階段だ。簡素で、事務的で、機能性だけが追求された階段。ストッキングだけの素足に、タイトなミニスカートをはいた女性が昇り降りするように作られてはいない。ジュンコ?シマダも、首都高速道路三号線の緊急避難用階段を昇り降りすることを念頭に置いてスーツをデザインしてはいない。大型トラックが反対車線を通り過ぎ、階段をぶるぶると揺らせた。風が鉄骨の隙間を音を立てて吹き抜けた。しかしとにかく階段はそこにあった。あとは地上に降りていくだけだ。

 青豆は最後に後ろを振り返り、講演を終えて演壇に立ったまま、聴衆からの質問を待ち受ける人のような姿勢で、路上に隙間なく並んだ自動車を左から右に、そして右から左に見渡した。自動車の列はさっきからまったく前進していない。人々はそこに足止めされ、ほかにすることもないまま、彼女の一挙一動を見守っていた。この女はいったい何をしようとしているのだろう、と彼らはいぶかっていた。関心と無関心が、うらやましさと軽侮が入り交じった視線が、鉄柵の向こう側に降りた青豆の上に注がれていた。彼らの感情はひとつの側に転ぶことができぬまま、不安定な秤{はかり}のようにふらふらと揺れていた。重い沈黙があたりに垂れ込めていた。手を上げて質問するものもいなかった(質問されてももちろん青豆には答えるつもりはなかったが)。人々は永遠に訪れることのないきっかけを、ただ無言のうちに待ち受けていた。青豆は軽く顎を引き、下唇を噛み、濃い緑色のサングラスの奥から彼らをひととおり品定めした。

 私が誰なのか、これからどこに行って何をしようとしているのか、きっと想像もつかないでしょうね。青豆は唇を動かさずにそう語りかけた。あなたたちはそこに縛りつけられたっきり、どこにも行けない。ろくに前にも進めないし、かといって後ろにも下がれない。でも私はそうじゃない。私には済ませなくてはならない仕事がある。果たすべき使命がある。だから私は先に進ませてもらう。



7 из 198