
「もし芥川賞をとれたとして、それからどうなるんですか?」と天吾は気を取り直して尋ねた。
「芥川賞をとれば評判になる。世の中の大半の人間は、小説の値打ちなんてほとんどわからん。しかし世の中の流れから取り残されたくないと思っている。だから賞を取って話題になった本があれば、買って読む。著者が現役の女子高校生ともなればなおさらだ。本が売れればけっこうな金になる。儲けは三人で適当に分けよう。そのへんは俺がうまく按配{あんばい}する」
「金の分配みたいなことは、今のところどうでもいいです」と天吾は潤いを欠いた声で言った。
「でもそんなことして、編集者としての職業倫理に抵触しないんですか。もしそんな仕掛けをしたことが世間にばれちゃったら、ずいぶんな問題になりますよ。会社にもいられないでしょう」
「そんなに簡単にばれやしないよ。俺はその気になればとても用心深くことを運ぶことができる。それにもしばれたところで、会社なんて喜んでやめてやる。どうせ上の方には受けが悪くて、ずっと冷や飯を食わされてきたんだ。仕事くらいすぐに見つけられる。俺はね、何も金がほしくてこんなことをやろうとしてるんじゃない。俺が望んでいるのは、文壇をコケにすることだよ。うす暗い穴ぐらにうじゃうじゃ集まって、お世辞を言い合ったり、傷口を舐めあったり、お互いの足を引っ張り合ったりしながら、その一方で文学の使命がどうこうなんて偉そうなことをほざいているしょうもない連中を、思い切り笑い飛ばしてやりたい。システムの裏をかいて、とことんおちょくってやるんだ。愉快だと思わないか?」
天吾にはそれがとくに愉快だとも思えなかった。だいたい彼は文壇なんてものをまだ目にしたこともない。そして小松ほどの有能な男が、そんな子供っぽい動機から危険な橋を渡ろうとしていることを知って、言葉を一瞬失ってしまった。
「小松さんの言ってることは、僕には一種の詐欺みたいに聞こえるんですが」
「合作は珍しいことじゃない」と小松は顔をしかめて言った。「雑誌の連載マンガなんて半分くらいはそれだ。スタッフがアイデアを出しあってストーリーをこしらえ、それを絵描きが簡単な線画にし、アシスタントが細かい部分を描き足して彩色をする。そのへんの工場で目覚まし時計を作るのと同じだ。小説の世界にだって似たような例はある。たとえばロマンス小説がそうだ。あれの多くは、出版社サイドが設定したノウハウに従って、雇われ作家がそれらしく話をこしらえているだけだ。要するに分業システムさ。そうしないことには量産がきかないからね。ただしお堅い純文学の世界では、そんな方式は表向き通用しないから、実際的な戦略として我々は、ふかえりという女の子一人を表面に立てておく。もしばれたら、そりゃちっとはスキャンダルになるかもしれない。しかし法律に反しているわけじゃない。そういうのはもはや時代の趨勢なんだよ。それに我々はバルザックやら紫式部やらの話をしているわけじゃない。そのへんの女子高校生が書いた穴ぼこだらけの作品に手を加えて、よりまともな作品を作り上げようとしているだけだ。それのどこがいけない? 出来上がった作品が良質で、多くの読者がそれを楽しめたとしたら、それでいいじゃないか」
天吾は小松の言ったことについて考えた。そして言葉を慎重に選んだ。「問題がふたつあります。もっとたくさん問題があるはずだけど、とりあえずふたつだけにしておきます。ひとつは著者であるふかえりという女の子が、他人の手による書き直しを了承するかどうかです。彼女がノーと言えば、話はもちろん一歩も前に進まない。もうひとつ、彼女がそれを了承したとして、僕があの物語を実際にうまく書き直せるかどうかという問題があります。共同作業というのはすごく微妙なものだし、小松さんが考えているように簡単にはものごとは運ばないんじゃないですか」
「天吾くんにならできる」、小松はその意見を前もって予期していたように、間を置かずに言った。「間違いなくできる。最初に『空気さなぎ』を読んだときに、それがまず俺の頭にぽっと浮かんだことだった。<傍点>こいつは天吾くんが書き直すべき話なんだ</傍点>って。更に言えば、これは天吾くんが書き直すに相応{ふさわ}しい話なんだ。天吾くんに書き直されることを待っている話なんだ。そうは思わないか?」
天吾はただ首を振った。言葉が出てこない。
「何も急ぐことはない」と小松は静かな声で言った。「大事なことだ。二三日じっくり考えればいい。『空気さなぎ』をもう一度読み返してくれ。そして俺が提案したことについてよく考えてみてほしい。そうだ、こいつも君に渡しておこう」
